第1章:雑誌印刷業界の概観
1-1:雑誌印刷業界の位置づけ
雑誌印刷業界は、日本の印刷産業の中でも特に雑誌や定期刊行物の制作を主な業務とする分野に属します。日本国内には数多くの印刷会社が存在しており、それぞれが得意分野や得意先を持ちながら事業を展開しているのが特徴です。新聞や書籍、商業印刷全般を扱う大手印刷企業もあれば、雑誌印刷に特化した中堅・中小の印刷会社も存在しており、これらが多層的に市場を形成しています。
雑誌印刷業界は、出版不況や紙メディア離れなどといった大きな潮流のなかで、市場規模の縮小やコスト競争の激化が進んでいる現状です。特に、インターネットメディアの台頭により雑誌の部数が長期的に減少傾向をたどるケースが多く、雑誌印刷を専業とする企業には厳しい経営環境が続いています。その一方で、季刊誌や専門誌など、一定の読者層に根強い人気を持つ雑誌も存在するため、このような専門分野での強みを活かす印刷会社は、ある程度の市場を維持できています。
1-2:出版市場全体の変遷と雑誌印刷の現状
出版市場全体では、書籍やコミックス(単行本、電子版含む)などが一定の売上を保っている一方で、雑誌は年々減少の一途をたどっています。特に総合週刊誌やファッション誌などの主要雑誌で部数が落ち込んでいる事例が見られます。しかし雑誌文化そのものが消えてしまうわけではなく、新たな編集方針やSNS連携による付加価値を模索しながら生き残りをかける出版社も増えています。
また雑誌印刷においては、高精細印刷や特殊加工、付録の同梱など、多様な要望に応えられる体制が求められています。特に商業的に成功している雑誌の場合、冊子以外のグッズや試供品などの付録が売上の大きな柱となることが多く、印刷会社にも製造・加工のノウハウが要求されます。こうした要求に柔軟に応えつつ、短納期かつ高品質を実現するためには相応の設備投資や研究開発、そして人材育成が必要となるため、資金力と経営資源の集中が重要になってきます。このような背景が、雑誌印刷業界におけるM&Aの動きを後押ししているといえるでしょう。
第2章:M&Aの基礎と雑誌印刷業との関係
2-1:M&Aとは何か
M&A(Mergers and Acquisitions)とは、企業の合併・買収を指す総称です。企業が経営戦略を拡大・強化する目的で、ほかの企業や事業を取り込む場合に活用されます。合併(Merger)は通常、複数の企業が一つに統合されることで、それぞれの法人格が消滅し、新たな企業(またはいずれかの企業)として存続する形をとります。一方、買収(Acquisition)は、対象企業の株式や資産を購入して支配権を得る行為を指します。
M&Aは、日本国内でも1970年代から大企業を中心に実施されてきました。しかし、バブル崩壊後の1990年代、さらに2000年代以降は、経済・社会の変化に伴い、海外企業による日本企業の買収や、日本企業同士の再編などが増加し、「M&A」という言葉が広く知られるようになりました。現在では、大企業から中小企業に至るまで、事業継承や成長戦略などさまざまな目的でM&Aが盛んに検討されるようになっています。
2-2:雑誌印刷業界におけるM&Aの背景
雑誌印刷業界におけるM&Aの背景としては、まず第一に「出版不況」に伴う印刷需要の縮小があります。雑誌の発行部数が減少するなかで、印刷会社の設備稼働率は低下し、収益性の悪化が進みます。そこで、多角化や規模拡大によって経営の安定を図ろうとする印刷会社、あるいはITやデジタル分野に強みを持つ企業が印刷会社を買収し、紙とデジタルの両輪で事業展開を狙う動きが見られます。
また、国内の人口減少や高齢化が進む一方で、継続的に雑誌印刷を必要とするニッチ市場(専門誌や地方情報誌など)は一定の需要が存在します。このように、縮小する市場で生き残るためには、規模の経済を追求したり、新しい付加価値を創出したりする必要があります。そのため、大手印刷会社が中小の雑誌印刷会社を買収・統合することで新事業や高付加価値分野への進出を促進するケースが増えてきています。
第3章:雑誌印刷業界のM&A動向
3-1:近年の主なM&A事例
近年、雑誌印刷業界では以下のような動向が見られます(実例は概要ベースで示します)。
- 大手印刷会社による中堅印刷会社の買収
大手企業がさらなるシェア拡大を狙って、中堅クラスの印刷会社を買収し、事業規模を拡大する動きがあります。特に、雑誌印刷に強みを持つ中堅印刷会社を取り込むことで、雑誌の編集・加工・流通・広告展開まで一体化したサービスを提供し、出版社に対する提案力を高める狙いが見られます。 - IT企業による印刷会社の買収
紙媒体の縮小とデジタル化の潮流を受け、IT企業が印刷事業のノウハウを取り込む例もあります。これには、紙とデジタルを融合した新しいコンテンツビジネスを模索する意図があるほか、地域密着や物流拠点としてのインフラを活用したビジネス拡大なども含まれます。 - 印刷会社同士の合併・経営統合
互いの設備や人員を最適化し、重複する業務を削減する目的で印刷会社同士が合併するケースです。合併後の組織再編を通じて、効率的な運営を行いつつ、新たな投資を進めるための経営資源を確保しようとする狙いがあります。 - 事業承継型M&A
経営者の高齢化や後継者不足に悩む中小印刷会社の経営者が、同業または近接業種の企業へ事業譲渡するケースです。雑誌印刷に関わる専門的なノウハウや顧客基盤を持つ会社を譲り受けることで、買収側が新規顧客との関係を強化したり、地域でのプレゼンスを確立したりといった効果が期待できます。
3-2:雑誌印刷業界特有の課題とM&Aの役割
雑誌印刷業界のM&Aでは、単に経営規模の拡大だけでなく、「短納期・高品質な生産体制の維持」や「多様化する付録加工への対応」など、業界固有の課題解決が目指されています。例えば、付録同梱が多いファッション誌を安定して印刷・加工できる体制や、自社工場の設備更新が追いつかない場合には、M&Aで別の企業の工場や設備を活用し、生産リソースを補完する動きが効果を発揮します。
また、雑誌印刷業界では、出版社との信頼関係やスケジュール管理のノウハウが非常に重要です。機械設備だけではなく、編集部との緻密なやり取りや品質管理体制の構築など、属人的なノウハウが積み重なっているケースが多々あります。そのため、M&Aを行う際には、こうした「人」による強みを上手に継承し、買収後に社員がスムーズに融合できるような統合プロセスが欠かせません。
第4章:M&Aの目的と戦略
4-1:規模の経済と範囲の経済
M&Aを行う主な目的の一つは、規模の経済と範囲の経済の実現です。雑誌印刷では、印刷機や製本設備などを稼働させるために一定のロット(大量生産)が必要であり、業務量が増えるほど1部あたりのコストが下がる傾向にあります。M&Aによって生産拠点や顧客基盤を統合すれば、設備稼働率の向上や資材調達コストの削減を図ることができます。
また、雑誌印刷業者が他の印刷分野や周辺事業(デジタルコンテンツ制作、通販・物流代行など)を手がける企業を買収することで、範囲の経済を得ることも考えられます。範囲の経済とは、異なる事業領域を同時に展開することで相乗効果が生まれ、各事業に必要なコストを抑えられる仕組みです。雑誌印刷とデジタルメディアを組み合わせることで、出版社や広告主に対して多面的な提案が可能となり、新たな収益源を獲得しやすくなります。
4-2:差別化と高付加価値化
競合が激しい雑誌印刷市場においては、単に大量印刷を行うだけでは生き残りが厳しい場合もあります。そのため、他社にはない特別な加工技術や、短納期を実現するためのロジスティクス機能、高品質な製本や付録加工などで差別化を図ることが重要です。M&Aは、こうした差別化要因や高付加価値化を得るための手段としても活用されます。
具体的には、以下のような戦略が考えられます。
- 特殊印刷技術や最新設備を保有する企業を買収
UV印刷やデジタル印刷、オフセット印刷に加えて高精細印刷技術を活用することで、写真集やファッション誌などの高品位な雑誌制作を実現するケースがあります。こうした技術力は短期間で模倣しにくいため、買収による技術の取り込みは効果的です。 - 大量付録加工に対応できる企業との統合
近年では、雑誌に付録を付けることが売上増につながる場合が多く、大手出版社の要望に応えるための大型機械や作業ラインが必要となります。M&Aを通じて、こうした付録加工に強みを持つ企業を取り込めば、新たな付加価値を持ったサービスが展開可能になります。 - 物流・流通面での強化
雑誌は発行サイクルが短いものが多く、全国規模の流通網や配送体制が必要です。M&Aによって物流企業や倉庫業者と一体化し、スピーディーかつ効率的な雑誌の発送・管理を可能にするケースも考えられます。
第5章:M&Aのプロセスと留意点
5-1:M&Aプロセスの概要
雑誌印刷業界に限らず、一般的なM&Aのプロセスは以下のような流れで進みます。
- 戦略策定・目標設定
自社の経営戦略に照らし合わせながら、M&Aを通じて達成したい目標を明確にします。市場シェアの拡大や新規事業への参入、差別化技術の獲得など、優先事項を整理しておくことが重要です。 - ターゲット企業の探索・選定
買収候補となる企業の情報収集を行い、自社の目的に合致するかどうかを検討します。雑誌印刷業界の場合は、地理的な立地や顧客構成、保有している印刷設備などが評価のポイントになります。 - アプローチ・初期交渉
候補先と接触し、基本的な条件をすり合わせます。経営者同士の相性や、企業文化の互換性も重要な要素となります。 - デューデリジェンス(DD:詳細調査)
財務面、法務面、人事面、技術面など、企業買収に必要な情報を詳細に精査します。雑誌印刷業界では、設備の老朽化状況や主要取引先との契約内容などが重要な調査項目です。 - 最終契約交渉・契約締結
デューデリジェンスの結果を踏まえて買収価格や条件を確定し、最終契約を締結します。 - ポスト・マージャー・インテグレーション(PMI)
買収後の統合作業を円滑に進めるための施策です。組織改編や拠点統合、従業員の教育などに時間をかけて準備を進めます。雑誌印刷においては、生産ラインの統合や担当顧客リストの重複整理などが具体的な課題となります。
5-2:デューデリジェンスのポイント
雑誌印刷業界特有のデューデリジェンスのポイントとして、以下のような点が挙げられます。
- 設備評価
印刷機や製本機、梱包ラインなどの設備年齢や保守状況、稼働率を詳細に把握する必要があります。設備投資の必要性を正確に見積もることが、買収価格の妥当性を判断するうえで欠かせません。 - 主要取引先との関係
どの出版社や広告代理店とどの程度の取引があるか、契約期間や取引条件はどうなっているかなど、今後の収益予測に大きく影響します。また、出版社との信頼関係が個人ベースで構築されている場合は、買収後に関係が断絶しないように注意を払う必要があります。 - 特許やノウハウの有無
特殊な印刷技術や加工技術など、競合他社との差別化要素となるノウハウを有しているかどうかが、M&Aの価値に直結します。特許や商標登録の実態も含めて調査を行い、知的財産の活用可能性を評価します。 - 在庫リスク
紙やインクなどの原材料在庫、または受注待ちの部材などが適切に管理されているかをチェックする必要があります。特に雑誌印刷は、刊行スケジュールに合わせた在庫管理がシビアであり、余剰在庫を抱えていないか、棚卸資産が適正評価されているかなどを確認します。
第6章:バリュエーション(企業価値評価)の考え方
6-1:DCF法(ディスカウント・キャッシュフロー法)
企業価値を算定する代表的な手法として、DCF法があります。将来生み出されるであろうキャッシュフローを割り引いて現在価値を求める方法です。雑誌印刷業界の場合、以下のような点を考慮してキャッシュフローを見積もる必要があります。
- 市場の縮小リスク
雑誌発行部数が今後も減少傾向にある可能性が高い場合は、売上予測に慎重な見積もりを設定することが求められます。特に定期購読や広告収入の動向が業績に直結するため、出版社との契約内容やトレンド分析が重要です。 - 設備投資額の見積もり
印刷機や製本機などの老朽化対策や先端設備の導入など、設備投資が想定されるため、CAPEX(設備投資額)をどの程度見込むかで将来のフリー・キャッシュフローが大きく変わります。 - 付加価値事業の成長可能性
通販事業やデジタル事業、イベント企画など、紙以外の収益源が期待できるかどうかによって、キャッシュフローの予測が変化します。M&Aを機に多角化を進める場合、その可能性を数値化することが課題となります。
6-2:マルチプル法(類似会社比較法)
印刷業界や出版業界などの上場企業の株価指標(PERやEBITDA倍率など)をもとに、対象企業の価値を推定する方法です。雑誌印刷業界であれば、以下のような点が留意事項となります。
- 上場企業との事業構成の違い
大手総合印刷企業は雑誌以外の書籍やパッケージ、デジタル領域など幅広く事業を展開しているため、単純な比較は難しい場合があります。純粋に雑誌印刷に近い事業領域の売上比率や利益率を参照するなどの工夫が必要です。 - M&A対象企業の特殊性
対象企業が保有する差別化技術や取引先構成、地域密着度など、一般的な比較指標に反映しづらい要素がある場合は、割増・割引を考慮したバリュエーションが求められます。
第7章:ポスト・マージャー・インテグレーション(PMI)の課題
7-1:組織文化の統合
雑誌印刷業界では、特に現場レベルでの作業工程が複雑であるため、社員同士の連携やコミュニケーションが重要になります。M&A後に従業員がモチベーションを失ったり、旧経営陣との対立が生じたりすると、生産効率が大きく損なわれる可能性があります。そのため、経営陣はPMIの初期段階で、現場の意見や不安をしっかりとヒアリングし、組織文化の違いを理解して橋渡し役を務めることが求められます。
また、雑誌印刷ならではの慣習やノウハウ、例えば編集部との信頼関係構築、オンタイムの進行管理など、暗黙知として組織に根付いているケースが多々あります。新たな経営体制下でもそれらが活かせるよう、旧組織から新組織へノウハウを移転する取り組みが必須です。定期的な研修や勉強会、担当者間の情報交換など、具体的な枠組みを設けることが効果的です。
7-2:生産・設備の統合
M&A後は、重複する設備や工場を効率化することが多いですが、雑誌印刷においては短期的なリストラはかえってリスクを高める場合があります。雑誌印刷の需要は時期によって波があり、発行スケジュールに応じて急激に生産量が増減するケースがあるため、単純に工場を閉鎖してしまうと繁忙期に対応できなくなる恐れがあるのです。
そのため、まずは現状の生産キャパシティを正確に把握し、ピーク時とオフシーズンの稼働率をシミュレートすることが大切です。そのうえで、設備投資やメンテナンスの優先度を検討し、どの工場や拠点を軸に運営していくかを段階的に決める必要があります。物流や人員配置との連動も含め、統合計画を策定することがPMI成功の鍵となります。
7-3:顧客管理とサービス拡充
雑誌印刷では、出版社や広告代理店などとの長期的な取引関係が大きな収益源となるため、M&Aによって顧客が混在する場合は、早急に一元管理できる体制を整える必要があります。買収元、被買収元の双方で重複する取引先や既存契約が存在する場合、重複管理を解消し、最適な条件で取引を続けられるように調整していくことが課題となります。
また、サービス拡充の観点では、印刷以外の周辺サービス(デザイン、編集代行、デジタルコンテンツ制作など)を取り入れることで付加価値を高め、顧客との関係性をより強固にすることが可能です。M&A後の統合で得られる経営資源を有効に活用し、ワンストップサービスを提供できるようにすることが、競争力強化につながります。
第8章:リスク管理とコンプライアンス
8-1:リスク要因の洗い出しと対策
M&Aには多額の資金が動くため、慎重なリスク管理が不可欠です。雑誌印刷業界の特性を踏まえて考えると、以下のようなリスク要因が挙げられます。
- 市場縮小リスク
雑誌発行部数がさらに落ち込む可能性を想定し、売上減少に耐えられる財務体質やコスト構造を整備しておく必要があります。 - 主要顧客の離脱リスク
買収後の経営方針の変更や企業文化の違いにより、主要顧客が離れるケースは珍しくありません。M&Aの初期段階で顧客への説明を十分に行い、信頼関係を保つための施策を検討しておく必要があります。 - 設備故障や品質トラブル
大量印刷を扱う業種であるため、一度設備が故障すると納期に大きな遅延が生じ、出版社や読者に影響を与えるリスクがあります。設備保守計画やバックアップ体制を整えておくことが重要です。 - 人的リソースの流出
買収後にキーパーソンや熟練工が退職してしまうと、ノウハウが失われるだけでなく、顧客関係にも悪影響が及びます。待遇やキャリアパスなど、人事面での統合施策を早期に打ち出して流出を防ぐことが求められます。
8-2:コンプライアンス面の注意点
印刷業界では、著作権や肖像権などの知的財産に関わる問題が頻繁に生じます。特に雑誌では、写真や記事内容に関する権利処理が複雑化しがちです。買収対象企業が過去にグレーゾーンの業務を行っていないか、契約書類は適切に整備されているかなどを、M&Aのデューデリジェンス時にしっかり確認しておく必要があります。
また、印刷工場が排出する廃棄物や環境負荷が問題視されるケースもあります。環境規制や産業廃棄物処理に関する法令を順守することはもちろん、地域住民との関係構築も重要です。買収前には工場周辺の環境リスクや苦情の履歴を調査し、問題点があれば早期に是正策を検討することが大切です。
第9章:成功事例と失敗事例に学ぶ
9-1:成功事例のポイント
雑誌印刷業界におけるM&Aの成功事例を見ると、以下のような共通点が挙げられます。
- 明確な戦略目標
単なるシェア拡大だけでなく、「専門分野での技術獲得」「物流拠点の確保」「付加価値サービスの強化」など、具体的な目標を設定している企業は、M&A後の統合施策もスムーズに進めることができます。 - PMIへの十分なリソース投入
買収後の組織統合に、人材・時間・資金を惜しまず投資している事例が多いです。特に現場のオペレーション統合に焦点を当て、早期に生産ラインや受注管理システムの統一を進めることが成果に直結します。 - 従業員のケアとノウハウ継承
雑誌印刷の現場には熟練の技術や長年の顧客対応ノウハウが蓄積されています。それらを買収後も上手に活用できるよう、合併・買収先の従業員の待遇改善やステータス向上を図るとともに、相互交流の場を設けてモチベーションを高める取り組みが重要です。
9-2:失敗事例の教訓
一方、失敗事例としては以下のようなケースが見られます。
- 過度な楽観シナジー見積もり
雑誌印刷分野では、競合や市場縮小の影響が大きいにもかかわらず、買収先とのシナジー効果を過大評価してしまい、実際には想定ほどのコスト削減や売上増につながらなかったケースがあります。事前のデューデリジェンスでリスク評価を十分に行わず、設備投資や人件費が想定を大きく上回り、赤字に陥る例もあります。 - 経営トップ同士の対立
買収先の経営者が創業者の場合、経営理念や企業文化に強いこだわりを持っています。買収側の経営者の価値観と相容れず対立が起き、結果的に主要幹部や職人クラスの従業員が大量離職するなどの混乱が生じることがあります。 - 統合作業の遅れによる業績悪化
M&A後、システム統合や現場オペレーションを先延ばしにした結果、現場で混乱が続き、発注ミスや納期遅延が多発して顧客離れが進むケースがあります。雑誌印刷は納期厳守が基本ですので、統合作業の遅れが信用問題に直結するリスクが高いのです。
第10章:今後の展望と戦略的意義
10-1:DX(デジタルトランスフォーメーション)との融合
雑誌印刷業界は、今後ますますデジタルとの連携が求められると考えられます。出版社の多くは、電子版の配信やSNSでのプロモーションを強化しており、紙媒体とデジタル媒体の両方を使ってブランド価値を高めようとしています。印刷会社としても、従来の紙媒体の印刷だけでなく、デジタルデータの編集・加工や、Webサービスの構築など、広範なサービスを提供できる体制を整えることで、出版社と一体的なパートナーシップを築けるようになります。
M&Aにおいても、ITやWebサービス分野に強い企業を買収して印刷工程とデジタル工程をシームレスに統合できれば、単なる印刷受注だけでなく、電子雑誌の編集サポートや電子書籍プラットフォームの運営、SNS連携のコンサルティングなど、多角的な収益源を確保することが可能です。これによって、紙媒体の市場縮小リスクを補いつつ、新たなビジネスモデルを構築する道が開けると期待されます。
10-2:グローバル展開と地域特化の二極化
国内市場が縮小傾向にあるなかで、大手印刷企業の一部は海外展開を模索する動きも見られます。特に東南アジアなどでは、まだ紙媒体への需要が底堅く、現地出版社との提携や合弁、現地印刷会社の買収によってビジネスを拡大しようとするケースがあります。日本で蓄積した高品質な印刷技術やサービスノウハウを、海外市場で活かすことで新たな成長を見込む戦略です。
一方で、地域密着型の中小印刷会社は、地元メディアや専門誌の印刷を中心に、ローカルなニーズに応えるビジネスモデルを確立することが生存戦略となります。例えば、地方観光情報誌や自治体広報誌、地域特産品のパンフレットなど、地域社会に根差した印刷需要は一定数存在します。このような分野に特化した印刷会社は、地元経済や文化との結びつきが強く、外部の大手企業が参入しづらい特徴があるため、M&Aでも高い評価を受ける場合があります。
10-3:事業継承問題とM&Aの役割
日本の中小企業全体の課題として挙げられる「後継者不足」は、雑誌印刷業界においても深刻です。高齢化する経営者が事業承継の準備を整えられずに悩んでいるケースは多く、その受け皿となるのがM&Aです。M&Aによって第三者に事業を譲渡することで、企業や従業員が存続し、地域の産業基盤が維持されるといった社会的意義も大きくなります。
また、印刷業は労働集約的な側面があり、現場の熟練スタッフをいかに確保し、育成していくかが事業継続のカギを握ります。後継者がいない場合、せっかくのノウハウや顧客基盤が失われる恐れがありますが、M&Aが活用されれば、買い手企業が経営資源とマネジメントを引き継ぎ、社員も継続雇用される可能性が高まります。これらの面からも、今後も雑誌印刷業界におけるM&Aは一定の需要があると考えられます。
第11章:まとめと展望
雑誌印刷業界は、出版不況やデジタル化の加速などにより、厳しい経営環境に直面しています。そのなかで、M&Aは生き残りをかけた有力な選択肢として多くの企業が検討するようになりました。大手企業による中堅・中小企業の買収や、中小企業同士の合併、IT企業による印刷会社の買収など、さまざまな形で業界再編が進んでいます。
M&Aの目的は、単なる規模拡大にとどまらず、印刷設備や物流拠点、特殊加工技術、人材ノウハウなどのリソースを統合し、高付加価値サービスを提供することにあります。M&Aで得られるシナジーを的確に生かし、買収後のPMIを丁寧に進めることで、出版社や広告主などのクライアントにとって魅力的な存在となり得るでしょう。
また、業界全体としてはDXが進展し、紙メディアとデジタルメディアの境界が曖昧になりつつあります。印刷会社がIT企業を買収し、編集・制作から流通、広告展開まで一体で行う「トータルソリューションプロバイダー」としての地位を築く可能性も大いにあります。逆に地域特化型の企業は、地元メディアや観光業などとの連携を強化し、独自の市場を掘り起こす戦略をとる場合もあるでしょう。
今後も雑誌印刷の需要が急激に回復する見込みは薄いと考えられるため、M&Aを活用して経営資源を効率的に再配置し、生き残りと成長を同時に目指す動きは続くと予想されます。ただし、企業文化の統合やノウハウ継承など、PMIには多くの課題があり、その成否がM&Aの成功・失敗を左右します。市場縮小のなかでも安定した利益を確保するためには、経営トップが明確なビジョンを持ち、従業員の理解と協力を得ながら、一歩ずつ着実に統合を進めることが必要不可欠です。
おわりに
本記事では、雑誌印刷業界におけるM&Aの概要や背景、具体的な動向からデューデリジェンスやPMIに至るまで、多角的な視点で解説してきました。雑誌印刷業界に限らず、日本の印刷・出版業界全体が大きな変革期にあるなかで、M&Aは企業再編や新たな成長のチャンスをもたらす有効な手段の一つです。特に、後継者問題を抱える中小企業にとっては、M&Aは円滑な事業承継と雇用維持を同時に達成できる希望の選択肢となり得ます。
一方で、M&Aには多くのリスクや準備が伴い、投資額も大きくなりがちです。成功を収めるためには、事前の綿密な調査・分析、統合計画の策定、従業員・取引先との信頼関係構築など、多くのステップを丁寧に踏むことが求められます。経営者が単独で判断するのではなく、専門家やアドバイザーの力を借りながら、経営戦略全体のなかでM&Aの意義を捉えることが大切です。
雑誌印刷業界は今後も厳しい状況が続くと予想される一方で、新しいサービスや事業モデルが次々と誕生する可能性も秘めています。M&Aを通じて得られるリソースやノウハウを最大限に活かし、既存のビジネスモデルから一歩踏み出した挑戦を続ける企業こそが、業界の未来を切り拓いていくことでしょう。ユーザーや読者にとって魅力的な雑誌を、紙でもデジタルでも届けるために、印刷会社の次なる一手がますます注目されています。