- 【第1章:印刷業界を取り巻く外部環境】
- 【第2章:印刷業界におけるM&Aの主要目的と背景】
- 【第3章:主なM&A事例の個別考察】
- 3-1. 朝日印刷<3951>の海外戦略
- 3-2. 宝印刷(現:TAKARA & COMPANY)<7921>による翻訳サービス・Web制作など多角化戦略
- 3-3. 廣済堂<7868>の出版子会社売却と希望退職募集
- 3-4. 中本パックス<7811>のパッケージ・フィルム分野再編
- 3-5. 日本創発グループ<7814>の積極的M&A戦略
- 3-6. 理想科学工業<6413>のインクジェットヘッド事業取得(東芝テック<6588>グループより)
- 3-7. 凸版印刷<7911>と大日本印刷<7912>の海外事業再編・子会社売却
- 3-8. 共立印刷<7838>の印刷会社買収と再編
- 3-9. 大王製紙<3880>の印刷会社再編や三浦印刷<7920>買収
- 3-10. 小森コーポレーション<6349>の印刷機器周辺事業拡張
- 3-11. その他の事例:書籍系・IT系との協業
- 【第4章:印刷業界M&Aの傾向と特徴】
- 【第5章:今後の展望と課題】
- 【第6章:まとめ ~印刷業界M&Aはどこへ向かうのか~】
【第1章:印刷業界を取り巻く外部環境】
1-1. 紙媒体需要の変化とデジタル化の進展
印刷産業は、長らく書籍・雑誌やチラシ・パンフレットといった紙媒体を主力として発展してきました。しかし、近年のデジタル技術の急激な進歩やインターネットの普及に伴い、個人・企業問わず印刷物の利用形態が大きく変化しています。新聞や雑誌の販売部数が減少し、広告宣伝物もデジタル広告へ移行するなど、紙媒体の需要は長期的に下落傾向にあります。
とりわけ、新型コロナウイルスの感染拡大がもたらしたリモートワークの定着、業務効率化に向けたペーパーレス化などが追い打ちをかけ、印刷物に対する需要縮小がいっそう進んだケースも少なくありません。さらに、1990年代にピークを迎えた書籍・雑誌などの出版分野における印刷市場は大きく縮小し、オフセット印刷を中心とした商業印刷分野も激しい受注競争と単価低下が進んでいます。
1-2. 新規分野・海外市場への活路
一方で、包装・パッケージ分野やラベル印刷、エレクトロニクス(プリンテッドエレクトロニクス)などの新しい需要分野では一定の市場成長が見込まれることから、印刷会社各社は多角化や付加価値の高い製品・サービスへのシフトを模索しています。また、成熟した国内市場だけでなく、経済成長の著しいアジア地域や北米・欧州の包装マーケット、工業用途の印刷などをターゲットにして、海外事業を強化・拡大していく動きも顕著です。
オフセット印刷業界では、国内各社が生産拠点や技術力を活用して海外に拠点を設けたり、現地の有力企業を買収して事業基盤を固めたりするケースが増えています。さらに、従来の紙媒体印刷にとどまらないデジタル印刷やオンデマンド印刷サービスの需要が拡大しており、IT系企業や異業種との連携も活発化しています。
1-3. 印刷会社をめぐる再編と集中
上記のような環境変化に対応すべく、印刷業界では「選択と集中」「高付加価値化」「規模の追求」という観点から、再編の動きが活性化しています。国内では凸版印刷や大日本印刷といったメガプリンターを中心として、グループ企業の整理統合、事業の新陳代謝などが進められてきました。一方、中堅・中小の印刷会社でも、自社単独での生き残りが困難になる局面が増え、積極的なM&Aや事業譲渡、もしくは新たなパートナー企業との資本業務提携が増加する傾向にあります。
また、印刷会社が持つ技術力や設備を活かした新規事業への参入も見られます。今回取り上げる事例の中でも、海外企業の買収やIT・翻訳関連企業への投資など、多種多様なM&A事例が登場しています。なかには、これまでは紙媒体を主力としていた企業が、翻訳サービス、ホームページ制作、翻訳・通訳ビジネス、3Dプリンター関連サービスなど、印刷の枠にとどまらない新しい領域へ拡張を狙うケースも含まれます。
【第2章:印刷業界におけるM&Aの主要目的と背景】
ここでは、印刷業界企業がM&Aへ動く主な理由を整理します。多くの企業が、(1)事業領域の拡大や多角化、(2)海外市場進出やグローバル展開の加速、(3)製造コストや生産拠点の効率化、(4)競合との差別化を目的とした技術獲得、(5)経営難からの再建や事業承継、といった観点からM&Aを実施しています。
2-1. 事業領域の拡大・多角化
紙媒体印刷需要が減少するなか、印刷会社の多くは印刷そのものの技術を活かしながら、他業態や周辺領域へとビジネスを広げる必要に迫られています。その際の手段として、(1) 自社にない特殊技術やサービスモデルを持つ印刷・加工会社を買収する、(2) 翻訳やデジタルマーケティングなど印刷周辺工程を手掛ける会社と資本・業務提携を行い、顧客ニーズへのワンストップ対応を強化する、といった動きが増えています。
2-2. 海外市場進出・グローバル展開
ASEAN諸国や北米・欧州などで、パッケージ印刷や工業用印刷向けの需要増が見込まれることから、現地企業の買収や合弁会社設立による生産・販売拠点の確保が進んでいます。今回の事例でも朝日印刷<3951>や宝印刷(現:TAKARA & COMPANY)<7921>などがマレーシアやシンガポール企業の買収を通じて現地事業を拡充する動きが見られました。
2-3. 生産拠点の集約とコスト・投資効率の向上
印刷機械の稼働率低下や競争激化に伴い、国内外の複数の印刷工場を再編・閉鎖する一方で、新たに海外拠点を買収・統合して効率を高めるケースも多く存在します。営業・製造の拠点をシェアすることで、重複投資を避け、生産コストを低減する狙いがあります。
2-4. 技術獲得と差別化
高付加価値の印刷技術や特殊ラミネート加工、3Dプリント、ウェブサイト制作など、新市場へ参入しやすい専門技術を保有する企業を取り込み、独自サービスを展開できるようになることもM&Aの動機です。プラスチックフィルムへの印刷や特殊加工、オンデマンド印刷のソフトウェア技術など、印刷物とIT技術を掛け合わせるビジネスが成長しているため、これらの技術を取り込む買収案件が増えています。
2-5. 経営難・事業承継・不採算事業の切り離し
紙媒体需要の縮小や新型コロナの影響などで経営環境が厳しくなるなか、不採算事業を大企業グループが整理したり、中小企業が事業承継問題に直面して第三者へ譲渡したりする動きが活発化しています。廣済堂<7868>のように出版子会社を個人へ譲渡したり、マレーシア事業を切り離す中本パックス<7811>など、赤字部門・不採算子会社を外部に売却する事例も散見されます。
【第3章:主なM&A事例の個別考察】
以下では、ご提供いただいた具体的なM&A事例を中心に、その背景や狙い、業界全体に与える影響などを詳細に紹介・分析していきます。複数の企業による合併・買収情報のうち、印刷業界に特徴的な方向性やキーワードなどを抽出して整理します。
3-1. 朝日印刷<3951>の海外戦略
3-1-1. マレーシアの印刷会社Kinta Press & Packaging (M) Sdn. Bhd.の株式取得
- 概要
- 2023年10月31日、朝日印刷がKPPの株式65%を取得。
- 取得価額は約24億1600万円。
- KPPは化粧品・食品向けの高級包装材、箱、ラベル等を製造する1984年設立の企業。
- これにより朝日印刷はマレーシアで3社を傘下に持つことになり、協業を推し進めて相乗効果を狙う。
- 狙い
- アジア、特にASEAN地域における医薬品・化粧品などの包装需要増を見据えた海外戦略の一環。
- すでに2019年に買収したHarleigh (Malaysia) Sdn. Bhd.とShin-Nippon Industries Sdn. Bhd.を含めた3社を組み合わせることで、現地での生産能力・顧客基盤を拡充し、グループの総合力を高める狙いがある。
- 医薬品パッケージや化粧品ラベルなどは高い品質管理が求められるが、マレーシアに生産拠点を設けることで、製造コストの抑制と顧客への迅速な対応が可能になる。
3-1-2. マレーシアの印刷会社Harleigh (Malaysia)、Shin-Nippon Industriesの子会社化(2019年)
- 概要
- 朝日印刷は2019年8月にHarleigh、Shin-Nipponの2社の株式65%を取得。
- 取得価額は約3億8000万円。
- いずれも医薬品・化粧品包材分野の印刷実績が長く、朝日印刷とはすでに取引があった。
- 狙い
- 日本の包装市場が成熟化するなかで、新興国やアジア市場での医薬・化粧品需要が拡大しており、現地生産を強化して競争力を確保しようとする動き。
- 医薬品・化粧品のパッケージは品質保証の基準が厳しく、現地では信頼と実績を持つ企業の買収が有効策。
総合的に見ると、朝日印刷の戦略は、ASEANを「重要市場」と位置づけ、複数の現地印刷会社を買収して一気に足場を築き、グループ内連携で事業拡大を図るという流れである。また各社を横断した技術・顧客シェアの統合によって、医薬品と化粧品に特化した包装材料分野で強固な競争優位性を確立できる。
3-2. 宝印刷(現:TAKARA & COMPANY)<7921>による翻訳サービス・Web制作など多角化戦略
3-2-1. 翻訳サービスの十印を子会社化(2019年2月)
- 概要
- 宝印刷が、翻訳サービス大手の十印(東京都港区)の全株式を取得。
- 1963年創業の十印は42カ国語対応、多言語ローカライズや技術翻訳に強みを持ち、翻訳サービスの国際規格ISO17100も取得。
- 取得価額は非公表。
- 狙い
- 各種ディスクロージャー書類(上場企業の有価証券報告書、株主総会招集通知など)への翻訳ニーズ拡大に対応し、翻訳事業の品目拡大・多言語対応力を強化。
- 宝印刷は以前から香港・シンガポール拠点などを通して翻訳サービスを拡充しており、今回の買収で国内外の顧客へのワンストップサービスをより強力に提供可能となる。
3-2-2. ホームページ企画・制作事業のイーツーを子会社化(2017年1月)
- 概要
- ホームページの企画・制作や技術運用サポートなどを提供するイーツー(東京都新宿区)の株式67%を取得。
- 取得価額は非公表。
- 狙い
- IRツールの一つとしてウェブサイトの重要性が増しており、ディスクロージャー関連事業を手掛ける宝印刷にとって、Web関連の企画・制作機能を内包することでサービスの包括性を強化。
- 紙媒体×Webの統合を図り、企業広報の多様なニーズに対応する。
3-2-3. シンガポールの翻訳・通訳会社Translasia Holdingsを子会社化(2018年11月)
- 概要
- 香港に現地法人を持つ宝印刷が、東南アジア3カ国(シンガポール、マレーシア、香港)で展開する翻訳・通訳事業会社Translasia Holdingsの株式97.3%を取得。
- 取得価額は非公表。
- 狙い
- アジア市場に進出する日系企業への翻訳ニーズ拡大、現地調達や統合を進めることでスピード・コスト両面でサービス強化。
- 翻訳対象言語のさらなる拡大や香港事業とのシナジーを期待。
総合的に見ると、宝印刷(現・TAKARA & COMPANY)は印刷会社でありながら、IR・ディスクロージャー支援の分野で先行しており、この領域は株主や投資家向け情報開示において英語をはじめ多言語翻訳が必須化するなどニーズが高まっている。翻訳会社やWeb制作会社の買収により、企業情報開示に付随する多角的サービスを提供する体制を構築し、競争力を強化しているといえる。
3-3. 廣済堂<7868>の出版子会社売却と希望退職募集
3-3-1. 出版子会社・廣済堂出版を個人に譲渡(2019年8月30日)
- 概要
- 廣済堂出版は売上高6億円程度で、出版不況の中5期連続赤字。
- 廣済堂は印刷・IT、人材関連、ライフスタイルに経営資源を集中するため、出版分野から撤退。
- 譲渡先は出版事業に精通した個人。譲渡価額は非公表。
- 狙い
- 不採算部門からの撤退とグループ経営の効率化。
- 出版物の低迷で近年の赤字が続いており、事業改善が見込みにくい状況を打破する目的。
3-3-2. 希望退職者240人募集(2020年4月)
- 概要
- 廣済堂は正社員約4分の1にあたる240人の希望退職者を募る。
- 9月末で主力印刷工場(豊中工場)の閉鎖、印刷業務は外部へ委託。
- 2020年3月期に特別損失として約9億円を計上。
- 狙い
- 紙媒体需要の減少や価格競争の激化で印刷関連事業が厳しく、組織スリム化を通じた収益改善策。
- 成功報酬型の人材ビジネスやIT領域への集中投資を加速させるための大胆なリストラ。
3-3-3. ベインキャピタルによるMBO(2019年1月、後に不成立へ)
- 概要
- 廣済堂がベインキャピタルを引受先とするMBOを検討。
- 結果的に、対抗TOBをかけたレノ陣営(南青山不動産)の動きなども影響し、廣済堂側のTOBは不成立となった。
- 一連の攻防が象徴するように、印刷事業の先行き不透明感の下、ファンドの手による事業再編を図る動きが出たが、株主間で意見が分かれた。
総合的に見ると、廣済堂はかつて印刷・出版で有名な企業だったが、近年は人材ビジネスや葬祭事業などへ事業をシフトしている。出版子会社売却や工場閉鎖、希望退職の実施など、不採算部門の切り離しによる事業構造改革を進める一方で、MBOに向けた試みが失敗し、代わりに資本市場での買収攻防が注目された。大手印刷会社に限らず、中堅企業が厳しい印刷事業から方向転換を進める事例として代表的である。
3-4. 中本パックス<7811>のパッケージ・フィルム分野再編
3-4-1. 中国事業(エヌ・ピー・ジー・ジャパン)を現地従業員に譲渡(2024年2月)
- 概要
- 中国の不動産不況や株式市場の冷え込み等に伴うカントリーリスクを考慮し、中国事業を切り離し。
- 中本パックスは食品包材製造・印刷加工を行う中国子会社(廊坊中本包装有限公司など)を含む持株会社を譲渡。
- これにより、中国拠点での事業を撤退方向へシフト。
- 狙い
- 中国経済の先行き不透明感が高まり、安定した収益を見込みにくくなった。
- 経営リスク回避と投資の選別に伴う撤退戦略。
3-4-2. 食品用包装フィルムメーカーのMICS化学<7899>をTOBなどで完全子会社化(2023年10月)
- 概要
- 東証スタンダード上場のMICS化学の筆頭株主から株式49.42%を取得し、残りを株式交換で完全子会社化。
- MICS化学は食品包装プラスチックフィルム製造を主力。
- 同社の株式を一部TOBで買い付け、その後に株式交換を行う複合スキーム。
- 狙い
- 中本パックスはグラビア印刷やラミネート加工による食品容器事業が主力であり、MICS化学の樹脂加工技術や顧客基盤との相乗効果を期待。
- これまで同社が中国事業を撤退方針にある一方で、国内需要をより安定化させるパッケージ企業を取り込む狙い。
総合的に見ると、中本パックスはパッケージ用フィルムやラミネート加工など食品・生活関連分野で一定の強みを持つが、中国事業撤退と国内企業のTOBを同時に進めることで事業ポートフォリオを組み替えている。これは「海外リスクを見極めつつ、国内でのシェア拡大を図る」動きともいえる。
3-5. 日本創発グループ<7814>の積極的M&A戦略
日本創発グループは、印刷からノベルティ・フィギュア・3Dプリンター造形、デジタルコンテンツ制作など、多彩な領域へ事業拡張を進めている。M&Aによるグループ企業の獲得を積極的に行い、事業ごとのシナジーを追求する姿勢が顕著。事例が数多く存在するため、代表的なものをいくつかピックアップする。
3-5-1. 飯島製本への追加出資(2023年4月)
- 概要
- 老舗製本会社の飯島製本を持分法適用関連会社から子会社化。
- 持株比率を38%から70%へ。取得価額3億8400万円。
- 飯島製本は中京圏を中心に国内最大級の製本専業企業。
- 狙い
- 書籍や商業印刷物の製本工程を自社グループ内で完結させることで、生産効率向上やコストダウンが可能に。
- 印刷から製本までのワンストップサービス強化。
3-5-2. 買い物用手提げ袋製造のリングストンを完全子会社化(2022年4月)
- 概要
- 買い物袋など包装資材を製造するリングストンの株式を追加取得し、完全子会社化。
- 取得価額8億4800万円。
- グラビア印刷機など豊富な設備を保有。
- 狙い
- 日本創発グループの印刷事業やノウハウと、リングストンの包装資材生産能力との融合。
- 小売業者向けの手提げ袋需要やサステナブル素材のニーズ拡大に対応。
3-5-3. 共同製本を子会社化(2023年12月)
- 概要
- 日本創発が100%出資する成旺印刷を共同製本が吸収合併し、その際の普通株式を日本創発が取得する形で子会社化。
- 新たに取得する株式は76.65%相当。
- 共同製本は創業110年以上の歴史を持つ老舗の製本会社。
- 狙い
- 成旺印刷との合併により生産効率・設備利用率を高めつつ、日本創発グループ全体として印刷・製本を一貫提供する体制をさらに強化。
3-5-4. メガホン応援グッズ・ポッティング印刷のプロモを子会社化(2020年10月)
- 概要
- プロモはポッティング印刷(樹脂盛り印刷)やメガホンなど応援グッズの制作に強み。
- 第三者割当増資を引き受け、株式90.91%を取得(約8000万円)。
- 狙い
- スポーツイベントやライブなどの応援グッズを供給する事業領域へ参入し、印刷ビジネスを拡大。
- 特殊印刷技術をグループ全体へ波及させ、他商材や販路を活用。
3-5-5. モデル事務所のバークインスタイルを子会社化(2022年2月)
- 概要
- ファッションモデル150名以上を擁するバークインスタイルの全株式を5億1800万円で取得。
- 印刷会社がモデル事務所を買収するという異色のM&A。
- 狙い
- 動画・SNSコンテンツやインフルエンサー事業へ展開し、広告・販促領域のバリエーションを拡大。
- 印刷技術や広告制作との融合で新市場を切り拓く。
総合的に見ると、日本創発グループは従来の「印刷」領域を越え、ノベルティ、イベント、デジタルコンテンツ、モデル・タレント活用の広告事業などへ積極的に範囲を広げています。多様な企業をM&Aで取り込み、ワンストップサービスを追求し、企業価値の向上を図る姿勢が明確です。
3-6. 理想科学工業<6413>のインクジェットヘッド事業取得(東芝テック<6588>グループより)
3-6-1. インクジェットヘッド事業を71億2000万円(後に64億3600万円へ変更)で取得(2023年12月~2024年7月見込み)
- 概要
- 理想科学工業は高速印刷に特化したインクジェットプリンターを開発・製造。
- 東芝テックとその子会社テックプレシジョンのインクジェットヘッド事業を買収し、吐出部品技術を自社で内製化へ。
- 2024年7月1日に事業譲受予定(取得価額は後に64億3600万円へ変更)。
- 狙い
- インクジェットプリンターを自社一貫で開発可能となり、差別化や製品性能向上を狙う。
- 印刷領域でのインクジェット需要拡大にあわせ、ヘッドの要素技術を統合することで高品質かつコスト競争力を確立。
この事例は、印刷機・印刷部材の垂直統合を図るM&Aとして注目される。技術取得型の買収であり、印刷関連M&Aの典型例のひとつである。
3-7. 凸版印刷<7911>と大日本印刷<7912>の海外事業再編・子会社売却
3-7-1. 凸版印刷による海外拠点売却・買収
- 中国・Toppan Leefung Printing (Shenzhen)の売却(2016年)
- ドイツの建装材用化粧シートメーカーInterprint買収(2019年)など
凸版印刷は、伝統的な印刷事業のみならず、半導体製造用フォトマスクやディスプレイ用フィルムなど、エレクトロニクス領域にも展開している。海外拠点再編や事業売却により「選択と集中」を進める一方、成長領域の建装材やデジタル分野に投資を加速している。
3-7-2. 大日本印刷によるカラーフィルター事業再編や出版流通の見直し
- 中国での書籍印刷子会社Toppan Leefung Printingの売却(2016年)
- 台湾の液晶パネルメーカー凌巨科技の子会社化(2016年)
- 出版流通会社文教堂グループHD<9978>への出資や、その後の譲渡(2010年~2016年)
- トッパン・フォームズ<7862>完全子会社化に向けたTOB(2021年~)
大日本印刷も凸版印刷と同様に事業領域が非常に幅広い。紙媒体印刷から半導体関連材料、包装材、建装材、出版流通など多角経営を進めているが、成長が見込めない部門については積極的に売却や再編を行い、新たな領域に資本を投下する動きが明白。
3-8. 共立印刷<7838>の印刷会社買収と再編
3-8-1. SICを子会社化(2011年9月)
- 概要
- 広告企画・制作のSICの株式を追加取得し98.1%を取得。
- 広告制作機能を自社に取り込み、印刷物制作の上流工程から下流工程までの一貫提供を強化。
3-8-2. 熊本の西川印刷を子会社化(2015年8月)
- 概要
- 九州における生産拠点確保と地理的拡大を狙い、売上高50億円規模の西川印刷の全株式を10億円で取得。
- 地方大手を取り込むことで地域需要を獲得。
3-8-3. ヴィア・ホールディングス傘下の暁印刷を買収(2013年)
- 概要
- 文庫本や辞典類の印刷を得意とする暁印刷を取得価額8億5000万円で買収。
- 書籍印刷分野を強化するとともに、電子書籍媒体のデジタル事業とも連携。
総合的に見ると、共立印刷は営業エリアの拡充や多様な印刷分野への参入を目的に地場の印刷企業を次々と子会社化し、国内シェアを伸ばそうという戦略がうかがえる。印刷需要が縮小する中でも一定の生き残りをかけて地域をカバーする機能を獲得し、上流工程(広告企画・制作)から下流の印刷・製本まで垂直統合を図っている。
3-9. 大王製紙<3880>の印刷会社再編や三浦印刷<7920>買収
3-9-1. 三浦印刷のTOBによる子会社化(2017年2月)
- 概要
- 大王製紙が三浦印刷に対してTOBを実施。買付価格260円で最大83億円。
- 大王製紙は唯一、紙・パルプ事業と商業印刷、シール・ラベル印刷などの総合印刷機能を内包し、用紙から印刷まで一貫対応できる体制を構築。
- 狙い
- 既存の印刷工場の機能と、三浦印刷の持つ顧客・技術を融合させ、印刷領域での受注増を図る。
- 紙原料から印刷物までサプライチェーンを一気通貫で担う差別化戦略。
3-9-2. 民事再生中の千明社(カタログ印刷)を事業取得(2019年12月)
- 概要
- 創業64年の千明社は約30億円の負債を抱えて民事再生法適用。
- 大王製紙グループがスポンサーとなり、2020年1月に新会社を設立し事業承継。
- 通販カタログ印刷などで大手ユーザーと取引のある千明社の顧客基盤を獲得。
- 狙い
- 印刷用紙の安定した需要を確保し、グループ内の印刷事業とのシナジーを創出。
- 商業印刷市場が縮小するなかでも、ニッチ領域(通販カタログ)や既存大手企業との取引を維持する。
総合的に見ると、大王製紙は紙・パルプ企業の強みを活かし、商業印刷やシール・ラベル印刷など下流工程への統合を進めている。競合する日本製紙なども同様の動きを見せているが、大王製紙はより積極的に印刷会社の買収に動いている点が特色といえる。
3-10. 小森コーポレーション<6349>の印刷機器周辺事業拡張
3-10-1. 独MBOグループ(後加工向け折機メーカー)買収(2020年2月)
- 概要
- ドイツ拠点の折機メーカーMBOの全株式を取得。
- 欧米市場で高シェアを持つ折機技術を傘下に取り込み、印刷後工程のトータルソリューションを提供可能に。
- 狙い
- オフセット印刷機メーカーから後加工工程まで手がける総合力を獲得。
- 印刷業界では「印刷+製本・加工」の一体型ソリューションが好まれる傾向があり、小森の世界的販売網とMBOの技術力を組み合わせることでシェア拡大を図る。
3-10-2. 中国販売代理店・インサイト(インド)やCPS(カナダ)などの買収・子会社化
- 小森は海外販売網拡大とパッケージ印刷技術(フレキソ印刷)などの取得を通じて、商業印刷からパッケージ印刷領域まで幅広く展開し始めている。
3-11. その他の事例:書籍系・IT系との協業
- 図書印刷<7913>
- 高校向け教科書発行の桐原書店を子会社化(2017年)。
- 企業向け語学研修サービスのシー・ティー・エス買収(2018年)。
- 書籍印刷から出版・教育ソリューションまで拡大する目的。
- TAC<4319>
- 大日本印刷傘下の早稲田経営出版の資格スクール事業と出版事業を取得(2009年)。
- 書籍や資格試験関連ビジネスの融合で、学習教材・サービスの競争力を高める。
- ラクスル<4384>
- ネット印刷サービスを手がけるラクスルが、印鑑通販大手のAmidAホールディングス<7671>をTOBで子会社化(2023年)。
- オンデマンド・デジタル印刷領域のプラットフォーム拡張策。
- サトーホールディングス<6287>
- ラベル印刷のシール・ラベル製造会社、海外企業買収などで自動認識ソリューションとセットで提供する仕組みを強化。
【第4章:印刷業界M&Aの傾向と特徴】
ここまで多数の事例を概観してきたが、近年の印刷業界M&Aには以下のような大きな傾向が見られる。
4-1. 事業多角化と周辺工程取り込み
- キーワード:ディスクロージャー、翻訳、Web制作、サインディスプレー
紙媒体の需要減に直面する中、周辺工程(翻訳、撮影、製本、封入・発送、Web広告・SNS運用など)を取り込むことで、顧客へのワンストップサービス化や付加価値アップを図る。特に宝印刷<7921>や日本創発グループ<7814>のように、従来の印刷会社の枠を超えた領域へ積極的にM&Aを行うケースが増加している。
4-2. グローバル展開と海外事業の再編
- ASEANを中心とした海外拠点強化
朝日印刷のマレーシア拠点買収や、凸版印刷・大日本印刷のアジア・欧州での積極的投資、大王製紙や日本製紙の海外印刷会社との提携などが挙げられる。一方で、中本パックスなど中国事業から撤退する事例もあり、各社がアジア各国の経済・政治リスクを見極めながら投資対象国を分散させる動きが出てきた。
4-3. 不採算部門の切り離しや事業承継型M&A
- 出版子会社の売却、工場閉鎖、希望退職募集などによって、本体がコア事業へ集中投資する再編が進行。廣済堂の出版子会社売却や、フォーバルテレコムの子会社事業譲渡など、印刷業界以外の企業が保有していた印刷子会社を手放すケースも増えている。
- また、中小印刷会社で後継者問題が深刻化し、グループ入りすることを決断する例も多い。買い手の大手・中堅印刷企業は技術力や顧客基盤を取り込み、地域密着企業のノウハウを吸収するメリットがある。
4-4. 印刷物の域を超えた産業領域への進出
- 3Dプリンタ、フィギュア、特殊印刷、IoT、インクジェットヘッドなど
紙以外の素材への印刷や、エレクトロニクス向け特殊印刷技術など、従来と異なる用途の印刷需要が確実に拡大している。 - 小森コーポレーションによる折機企業買収や理想科学のインクジェットヘッド事業買収などは、印刷機製造メーカーが差別化を図るために必要な核心技術を獲得する動きといえる。
4-5. 投資ファンドによるMBOやPEファンド買収
- 廣済堂や星光PMC、T&K TOKAなど、外部ファンドや経営陣が主導するMBOの動きが散見される。
- 紙媒体の需要減や設備投資負担が重い印刷業界では、短期的業績に縛られずに抜本改革を進めるため、上場廃止を選択する企業も増えている。
- PEファンドは印刷会社の事業整理や海外拠点再編を支援し、投資回収を狙う。M&Aによる非公開化が今後も一定数発生するとみられる。
【第5章:今後の展望と課題】
5-1. デジタルシフトと新領域への挑戦
紙媒体の需要減少が続くなか、印刷業界は製造や加工を超えた「マーケティング」「コミュニケーション」「ITソリューション」分野への転換を本格化させると予想される。単なる印刷物作成ではなく、翻訳・Webサイト制作・SNS活用まで含めた包括的サービスが求められる時代へ移行しており、そこに対応するためのM&Aは継続して増加すると考えられる。
5-2. ESGやSDGs対応としてのパッケージ分野強化
環境配慮の観点から、プラスチックに代わる紙素材やバイオプラスチックなどの需要が拡大しており、パッケージ印刷分野は今後も成長が期待される領域である。海外においても食品包装用素材などはアジア圏を中心に需要拡大が見込まれるため、日系企業が技術と品質を武器に拡大を図るケースが多くなるだろう。一方、中国や新興国ではローカル企業の技術力も上がってきており、その中で差別化を図るべく独自技術の獲得やM&Aでの事業拡大が重要になる。
5-3. 海外リスク・為替リスクへの慎重な対応
海外拠点を強化する動きがある一方で、中本パックスのように中国から撤退を決断する例も見られる。為替相場や関税・地政学リスクなどが高まるなか、経営資源をどの地域・業態に投下するかが経営判断の鍵を握る。M&Aでは買収先企業の財務リスクや政治リスクの洗い出しが一層重視される。
5-4. 高度化するITサービス・デジタル印刷への対応
オンデマンド印刷やデジタル印刷技術の進歩により、小ロット・短納期・多品種印刷のニーズが拡大している。印刷機のデジタル化が進むにつれ、ハードウェアとソフトウェアを包括的に提供できる企業が競争力を強める傾向がある。そのため、印刷会社や印刷機メーカーが関連ソフトウェア企業や特殊技術をもつベンチャーを買収するM&Aも増えていくだろう。
5-5. 中堅・地域印刷会社の再編
国内の印刷市場が成熟し、市場規模が縮小するなかで、商業印刷や出版印刷を中心とする中堅・中小印刷会社は、経営体力の弱体化や後継者問題で苦戦するケースが増えている。地域では有力企業が周辺会社を買収し、一定の生産能力を確保しつつ規模のメリットを追求する動きが加速すると見られる。地域印刷会社のグループ入りや、印刷機メーカーが設備強化を狙って中小企業を取り込むなど、多様な再編がさらに活発化する可能性が高い。
【第6章:まとめ ~印刷業界M&Aはどこへ向かうのか~】
印刷業界におけるM&Aは、(1)海外事業拡大、(2)新たなサービス・技術獲得、(3)不採算事業のリストラクチャリング、(4)後継者不足や経営難からの事業承継、(5)PEファンドや投資ファンドの介入による非公開化、など多様な目的や要因で進展しています。かつては出版・商業印刷が国内需要を牽引していましたが、デジタル化の波と消費行動の変化に伴い、パッケージや特殊印刷、あるいはITと融合した新サービスへのシフトが急速に進んでいます。
また、印刷といっても紙だけでなく、ラベル・パッケージ・産業資材・建装材・半導体用フォトマスク・電子部品印刷など、その範囲は広範です。大手印刷会社はじめ、紙・パルプ会社、ITサービス企業、海外投資家など多様な主体が絡み合う形でM&Aが展開されるのが特徴です。
今後のトレンド
- 海外拠点の再編と拡充:コスト競争力と地政学的リスクのバランスを鑑みつつ、ASEANや北米、欧州へ戦略的に投資する動き。
- IT・デジタルシフト:IR・翻訳、Web広告、SNSなどクロスメディア領域を積極的に取り込み、付加価値の高いサービスを提供。
- パッケージ・ラベル需要の安定拡大:食品・医薬・化粧品などの包装材は、環境対応型の素材や高度な印刷技術が求められ、技術力をもつ印刷企業が評価される。
- PEファンド主導の業界再編:親子上場企業や中堅印刷会社を対象にMBO・LBOが活性化し、上場廃止による非公開化で大幅な構造改革を行うパターンが続出すると想定される。
結論として、印刷業界のM&Aは「生き残りと新事業創出のための再編」という構造が鮮明化しています。需要縮小分野から成長分野へシフトするため、自社単独では得難いノウハウや海外ネットワークをM&Aを通じて獲得しようとする企業が増えています。これにともない、買収後の統合(PMI)における経営効率化や人材活用の巧拙が企業価値向上の大きな鍵になるでしょう。
印刷物そのものの需要は縮小していくかもしれませんが、新たなIT技術やデザイン技術、グローバルな包装資材需要など、変化する市場にマッチした印刷関連ビジネスには依然として大きな商機があります。デジタルトランスフォーメーション(DX)、サステナブル素材への転換など、社会全体の変革と連動して印刷業界も再編が進み続けることが予想されます。そして、その再編は今後もM&Aという手法を通じて加速していくと見られています。